決して渇くことがない

 現在、日本の人口の四分の一は、いわゆる高齢者の方々です。健康で長生きし、豊かな老後を過ごすことは、誰でも願うことではないでしょうか。そのためには、体の健康を保つために、食事や体力作りも大切なことです。六十歳を過ぎる頃から、筋力が低下し、歩く速度が落ちたり、階段を登る力が衰えてきます。そのような時、意図的に運動を心がけることで、回復することができます。食事では、伝統的な日本食が健康に良いと言われています。しかし、見逃せないのは、心の健康です。心の豊かさは一番大切です。人を本当に豊かにするのは、その人の内側のものです。しかし、これを満たすことは、非常に難しいことでもあります。

 かつて、中東を支配したソロモンというイスラエルの王様は、実験的な生活をしました。人が楽しみとし、喜びとするあらゆるものを求めて、それで人が満たされるかどうかを試したのてす。人にとって何が幸いかを見極めようとしたのです。彼には、その権力がありましたし、富もありました。彼は、それを実行したのです。彼の得た結論は、聖書に記されています。

空の空。伝道者は言う。空の空。すべては空。 聖書

 彼は、人々にそのことを知らせるために伝道者としてそれを書き記しました。人として、楽しむことができることを極めたとしても、それによって満たされることはないことを示したのです。それは、空でした。そのことは、私たち自身の生活の中でも、経験できることです。自分が熱狂して取り組んだことが過ぎてしまうとき、想い出は残っても、虚しさもまた残ります。

 それでは、私たちを満たすことができるものがあるのでしょうか。私たちを満たすものは、あるのです。

「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」イエス・キリスト

 どんな人でも満されることができることが示されています。それは、心からの満たしです。決して渇くことがないのです。

 本当に、例えば人が病気になっても、満たされることができるのでしょうか。余命が幾ばくもないことがわかっても、満たされるのでしょうか。

イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。

 どんな時にも決して乾くことがないのです。それは、歴史に見ることができます。迫害の中で死を恐れなかったクリスチャンがいます。また、身の回りにも、癌を患っていても喜びを失うことがないクリスチャンを見ることができます。

まことに、まことに、あなたがたに告げます。信じる者は永遠のいのちを持ちます。わたしはいのちのパンです。イエス・キリスト

 私たちが永遠のいのちを持つとき、死は、恐れではなくなります。実際、死に臨んでも、クリスチャンは、希望による喜びを持つことができます。決して渇くことがないのです。いのちのバンとしてのイエス様は、永遠のいのちを与えることで、決して乾くことがないことを示しました。

 もし、私たちの肉体が死ぬとき全てを失うとしたら、私たちを満たすものはありません。しかし、私たちは、永遠の命を持つことができます。そこに揺るぐことのない平安と満たしがあります。聖書は、私たちにそれを与えます。