希望の中に生きる
幸せな毎日は、私たちの願うことです。人それぞれ幸せと思えることは異なるでしょうが、一人ひとりが幸せであることを強く願います。しかし、世界に目を向けると、戦争や地震などの自然災害で、一度に多くの命が失われることが繰り返されています。その中で命をつないでも、残された一人一人にも多くの困難があります。今まで、望みとしていたことが突然失われ、生きる希望さえ失いかねないのです。私たちは、そのような困難な中で、失われることがない希望を持つことができるでしょうか。
困難な中で、望みを失うことなく、生きた人々がいます。その二千年の歴史の中で、迫害を受けながら、信仰によって喜びを失うことがありませんでした。あるいは、今日でも癌やALSなど不治の病気の中でも喜びを失うなうことがないのです。
すでに、約四千年前、神を信じる人たちは、天の故郷を目指して生きていたことが証しされています。
「これらの人たちはみな、信仰の人として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるか遠くにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり、寄留者であることを告白していました。
彼らが憧れていたのは、もっと良い故郷、すなわち天の故郷でした。ですから神は、彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。神が彼らのために都を用意されたのです。」聖書
彼らの求めていたものは、永遠のものです。地上では、旅人でした。この地上のものに勝るものを待ち望んでいたのです。そうです、私たちが生きる一生の間に望むものは、限りがあります。しかし、永遠のものに限りはありません。彼らの望んだものは、永遠のものです。そして、私たちも、永遠を望みとして生きることができます。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」聖書
神が私たちを愛しているので、永遠の命を与えようとされるのです。ご自分の御子を遣わし、この方を信じるようにされました。十字架にかけ、私たちの負っている罪のために身代わりに裁いたのです。それによって、私たちをどれだけ愛しているかを示されました。永遠の命を持つことで、その望みは何によっても妨げられることはありません。しかも、神に愛される者としての喜びの中に生きることができます。素敵なことではないでしょうか。
集会では、聖書に基づきこの救いの良い知らせをお伝えしています。神の愛の中に永遠に生きる幸いをご自分のものとされませんか。