愛の程度

「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」 イエス・キリスト

 地震や水害など大きな災害が起こった時、救助のために危険を冒して働かれる方があるのを見る時、感動を覚えます。自分や家族のためだけではなく、他の人のために犠牲を払うことはなかなかできないことです。

 人は、どうしても自分中心に生きてしまいます。小説や映画で自分を犠牲にした愛に感動し、自分も同じようにしたいとあこがれても、親しい人に対してさえ自分本位になってしまうのが現実です。自分自身は愛されることを望んでも、逆の立場に立って同じように他の人を愛することが難しいのです。まして、いのちを捨てて愛することができるでしょうか。

 聖書には、人の考えを越えた愛が記されています。イエス・キリストが、十字架にかかって死なれたことは、よく知られていることです。この十字架は、キリストの愛の現れです。十字架にクリスチャンが心揺さぶられるのには、意味があります。それは、愛による、一人一人のための身代わりの死であったからです。イエス・キリストが、私たちに代わり神の裁きを受けてくださらなかったら、私たちが救われる道はありませんでした。私たちは、自分の罪のために滅びなければならなかったでしょう。

 神は、愛に満ちた方すが、罪を受け入れることはできません。罪があったなら聖い神と交わることができません。しかし、神は、一人でも、罪の裁きを受けて滅びることを望んではおられません。それで、ご自分のほうから救いの道を備えてくださいました。イエスキリストを遣わされて、私たちの代わりにこの方を十字架の上にさばかれることによって、私たちへのさばきを過ぎ越してくださいました。イエス・キリストは、御自分から、進んで、神の裁きを代わりに受けてくださったのです。

 「キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。」聖書

 イエス・キリストは、友のために示す最高の愛として、私たちのためにご自分の命を十字架の上に捨ててくださいました。それによって、イエス・キリストを信じる者に、罪の赦しと永遠のいのちが与えられるのです。

 また、キリストは、罪のきよめを成し遂げた方として三日目に甦られ、今も変わらない豊かな愛を注がれる方です。

 イエス・キリストの愛を知った者は、真に愛されるということを知ることができます。そして、そのような愛を知った者として、他の人に対して愛を示すことができるようになります。

 キリストの愛は、永遠です。あなたのために備えられています。聖書を開き、この愛をお知りになりませんか。